――腕の中に飛び込んできたびしょ濡れの体
――一対の輝石を目にした瞬間、雨の音と匂いが消えた
――視線を奪われる、とは正にこのこと


その視線の先を知ってる



外は間が悪いことに雨が降り出していた。教室の窓から差し込んでいた夕日は雨雲に隠れて、薄闇の覆われた光景は夜の気配が色濃い。西の空が明るいから夕立だろうと判断して、校舎の屋根の下、雨が上がるのを二人で待つことにした。

「部活組も帰った後だな」
「完全に帰り損ねたね」

静まり返った玄関に二人の声だけが反響する。
そういえば、初めてキラを見たのも、こんな雨の日だったと思い出す。

「――まぁ、すれ違っただけの話だけど」
「ん?何か言った?」
「初めて会ったのも、こんな土砂降りの雨の時だったと思って」
「会ったとき…、そうだっけ?話してたとき雨の音なんてしてなかったと思うけど」

たしか僕が寝過ごした時だよね、と付け加えた言葉に、笑って違うと答えた。
キラが思い返しているシーンはきっと初めて話をした時のことだ。誰もいない教室で、雑用を押し付けられたラスティと居眠りをして帰り損ねたキラが顔を合わせた。

「話をしたとは言えないけど、俺たちさ、もっと前に会ってるんだ」
「へ?」
「幼年学校に通ってたとき、こんな大雨の中で、お前傘も差さずふらふら歩いてた」

覚えてるか?と尋ねるが、心底記憶がないらしく、難しい顔で首を傾げられた。
自分だけが一方的に記憶に焼き付けられているだけで、見ず知らずの他人との些細な接触など、日常に溶けて記憶には残らないのが普通。
だから、予想通りの反応に口元を緩めた。

「ずぶ濡れの奴がぶつかってきて、ふらついてるから大丈夫かって聞いたら、ごめんなさいって謝られたんだ」

背丈はそれほど変わりなかったと思う。だが受け止めた体はその重さでラスティの重心を揺らがせることなく、腕の中に納まった。酷く、華奢な体で触れたのが薄い胸でなければ、女の子だと間違えていたかもしれない。

「雨の、日」

空から幾重にも折り重なり落ちてくる大粒の雫を見つめるアメジスト。揺らいだ瞳が発した弱々しい光が、その時見た光景と重なりかけたが、ふと違和感を覚えた。何かが違うと。
記憶に鮮明に刻まれている色彩は魅惑的な紫電ではなく、壊れそうに脆い翡翠。

「なぁ、前からそんな色の目だったか?」
「――っ」

弾かれたようにこちらを向いた表情は、驚愕に強張っていた。
横顔のままでは向こう側に隠れていた翡翠を目にして、おぼろげだった記憶が確信になる。ラスティが目にしたのは、両目ともこの色が揺らいでいたはずだ。
視覚以外の五感を遠のかせた極彩色。
瞳の中で泳ぐように揺れていたそれは、雨のせいで視界さえ濡れたのかと思っていたが、もう一つの理由に思い当たる。

「あのとき…泣いてたのか…?」
「ぶつかったの、君だったんだ」

全然分からなかったよ、と苦笑される。右目を覆った掌が不自然に震えて、無意識に手を伸ばした。

「今の僕は、何か変われてる?」
「え?」
「変わったつもりなんだ。あの時の僕はいろんな人を困らせてばかりいたから」

触れるよりも先に、吐息に近い囁き声に咎められる。俯いて前髪で隠れてしまった瞳は伏せられて、目にすることはできない。
大勢の旧友に見せている子どもらしい顔、一回りも離れた大人と対等に話をしてみせる平然とした顔、二人きりで見せる淋しげな横顔。
様々な顔をしたキラ・ヤマトが脳裏を巡る。どれが本当なのか、と考えたこともあったけれど、きっと全てひっくるめたそれが今のキラなのだと思った。
苦しんで、笑って、焦がれて、複雑な感情を少しずつ表面に出して、必死だからこそアンバランスな印象を与える。精一杯、変わろうとした子どもの強がり。

「いいんじゃないか」
「なにが?」
「お前自身が変わろうとした結果が今なんだろう。どのお前もおもしろいし、一緒にいて飽きない」
「…ほんと?」

前髪の隙間から覗く、異なる色彩の瞳に自分の顔が映る。浮上したな、と短い付き合いの中で培った機嫌の機微を察知した。

「少なくとも俺はそう感じる。一般論は知らないけどさ、数に頼るならクラスの奴らの反応みろよ」
「みんな、すごくやさしい」
「ってか、お前のこと大好きすぎだろ。俺は時々、嫉妬の眼差しで刺し殺されるんじゃないかって本気で思うね」

噛み殺しきれなかった笑い声が漏れて、肩まで震わせている様子を見て、知らずに緊張させていた背中の筋肉を弛緩させた。

「あー、こんなこと言うつもりなかったのにな。どうして君には余計なことばっかり話しちゃうかな」
「そんな相手がいてもいいんじゃないか」

他の級友よりも共に過ごす時間が長いせいか、波長が合っているのか、ぽつりとキラから零される彼自身の核心に触れる言葉の数々。他には懐かない猫が自分にだけ擦り寄ってきてくれたときの面映ゆさを感じる。
唐突すぎたり、内容が濃すぎたりと心臓にあまり優しくはないが、それこそがキラと一緒にいて飽きないと感じる一因なのだ。

「聞いてくれたのが、ラスティでよかった。初めて友だちになったのが、君で本当によかった」

ありがとう、と紡いだ表情は晴れやかで、一点の曇りもなくラスティを見つめていた。
雨音で閉じられた世界で囚われた翡翠ではない分かっているのに、またその瞳に意識を絡めとられる。心の奥底を掴まれて、その拍子に浮き出た得体のしれない靄が胸の中に広がった。
帰ろうと、畳んだ折り畳み傘をもったキラに声をかけられるまで、脳裏で何度も繰り返される先刻の言葉。
雨はいつのまにか止んでいた。

――否応もなく、魅せられて引き寄せられる



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