――「初めて」は誰にとっても特別に感じる響き
――それが一番美しい瞬間に散ってしまったのならば、尚のこと鮮明に心に刻みつけられるだろう
背伸びしてあごにキス
「恋愛感情って不変と真逆の位置にあるよね?」
離れた席に座る仲睦まじ気な恋人を眺めながらぽつりと呟いた一言は、その外見に似つかわしくない重い響きを持った。
恋愛感情と自身のうちだけで繰り返して、随分と遠くにいってしまった甘さだなと感慨深くなる。恋人と呼ばれる相手は周期は短いものの、最近までいた。しかし、彼女たちとのやりとりにはゲーム感覚に近い楽しさや危うさを感じるが、恋愛感情と重なる部分は皆無に等しい。
「人の気持ちだからなぁ、全く変わらないっていうのは難しいんじゃないのか」
「父さんは…どうして変わらないんだろう…」
「ん?アスランの気持ちが変わらないって?」
最後に恋をしたのはいつだっただろう、と思い返してみるものの、それらしい記憶は巡ってこない。
甘やかさとときめき、そして僅かな不安を織り交ぜた刹那的な感情。恋とはしょせんそんなものだ。過ぎ去ってしまえば、瞬きの間に感じた熱も忘却させてしまう。
「父さんはずっと、ずっと、母さんが好きだから」
何事にも冷ややかな堅物の同僚が唯一、焼けつくほどの熱さをを垣間見せたのはたった一つの恋だった。そしてその恋は彼女と死に別れた今も尚、遺された男の中を焦がし続けている。
高ぶった感情が抑えられないまま、本気の殺し合いを繰り広げたほどの二人だ。それほどの強い感情が簡単には消えないだろうか、不思議とは思わなかった。
「一途なのは悪いことじゃないだろ」
「母さんはもういないのに?」
触れることも、声を聞くこともできない。そんなのただ不毛な感情になってしまうわないのか。ヒビキの言い分はもっともだ。
たしかに行き場のない想いは飽和して、自分の手で首を絞めるように苦しめることだってあるだろう。それでもそこから派生するのは物悲しい苦しさだけではない。
ディアッカが知っている、彼らが二人で過ごした時間は束の間だった。それでも彼女の傍にいたアスランは、自分がしっているどんな彼よりも鮮明で眩しく見えた。
「一緒に過ごした思い出が消えるわけじゃないし、そのとき感じた幸せは何にも代えがたいものだと思うぞ」
すると、ぱちりと目を瞬かせてじっと視線を向けられる。ディアッカを奇妙なものを見るかのような不可思議な表情で黙っているものだから、見られている側の居心地の悪さは最上級のものだ。
「父さんの中で母さんはずっと16歳のままだよ?」
「ずっと綺麗なままの妻なんて、誇ることはあっても恥じることはないだろう」
「そういうもの?」
「お前も大人になればわかる。若いってことがどれだけ偉大か」
「…そっか」
「なんでそこでへこむんだ」
目に見えて、沈んでしまった少年の意図が掴めずに首を傾げた。
キラと同じ年だった頃の自身の考え方が今と違うのか、そもそも昔と今の価値観そのものが違うのか。きっと両者だ。
「僕は男でその上しわしわになったとしても、母さんはずっと綺麗なままなんだよね。僕がどれだけ醜くなっていっても母さんはずっとずっと変わらない」
その人は恋して焦がれたときの美しい姿のままなのに、自分だけがアスランの中で老いていく。そんなの絶えられない。一生勝ち目なんてないんだ。
空になったカップを両手で傾けて、底へ視線が注がれる。何を考えているのか皆目見当もつかなかった姿が、繋ぎ合わせたピースが形を成すようにすとんと全体像が見えた気がした。
「あぁ…そういうこと」
「え?」
「お前、恐いんだろう」
「恐い?」
「そう、あいつの中で自分が一番になることはないって、一生敵わないって思ってるんだ」
比べられて母でないことに、それを超えられないと気づいたアスランに失望されるのが恐い。
ぐっと強く握りしめられたカップがソーサーにこすれて、鈍い音を立てる。
「…っ、そんなこと」
「あるだろう。どうして比べる必要がある?ヒビキとキラが名前が同じでいくら似てるからって、しょせんは違う人間だぞ」
血が繋がっていようが、育ってきた環境が酷似していようが、そこで形成される人格が同一であるはずがない。親子である前に、違う考え方をして異なる行動をする別個の存在だ。性質の異なるものをならべて、優劣を決められるはずがない。
「男にとって初恋の相手っていうのは、それだけでもう特別なんだ。その上、アスランにしてみればお前を生んだ人でもあるんだから」
「…僕?」
「そう、お前と暮らすようになってから、あいつずいぶん変わったぜ」
ザフトでまだ赤服に身を包んでいた頃、どんな働きかけをしても顔色一つ変えず、何を考えてるか微塵も分からなかった。不気味ではっきりいって、嫌いだった。
それがヒビキと暮らすようになった今はどうだ。とんでもなく親バカになって、まるで可愛くて仕方ない恋人の元に飛んでいくバカな男にさえ見えた。呆れながらも自然と笑みが浮かんでしまうくらいには、そっちのアスランのほうが好感を持てた。
「別人みたいに生き生きして羨ましいと思うぐらい楽しそうだ。それをアスランに与えたのは、ヒビキ、お前だよ」
「ディアッカ…」
俯いていた視線が持ち上げられ、異なる色彩の瞳が同時にこちらを見つめた。零れ落ちそうなほど大きな瞳はその輪郭を涙で揺らめかせる。
瞬きをしたら確実に落ちるだろうその雫は予想していなかった副産物で、ディアッカを慌てふためかせた。一滴でも零れたことが知れれば自分の身が危うくなる。
「うわ、泣くな、泣くなよ。あらゆるところから怒鳴られるんだ。その中でもお前んとこのバカ親は別格だ。とんでもなく性質が悪い」
あまりの取乱しように先ほど纏っていた湿っぽい空気は霧散して、口元には笑みが浮かぶ。小さな笑う声をたてるのはけっこうなことだが、肩が震えるたびに溜まった涙が目じりから零れそうで、見ているディアッカとしては気が気ではなかった。
「ただ一つ言っておきたいけどな」
「うん?」
「いくら仲の良い親子でも、その年で毎晩同じベッドで眠るなんて、世間では常識と呼ばないから」
「そうなの?」
「なに平気そうな顔してるんだ。お前、俺の言葉の重要さを理解してないな」
そうなんだ、と感心したふうに頷くのを見つめ、絶対にわかってないなと内心溜息をつきたくなった。ヒビキが他の親子の在り方を知らないからなのか、感覚が鈍いだけなのか。
アスランの態度が仕草が、口下手に紡がれる言葉よりよほど鮮烈に語っている。誰に渡してなるものか、愛しくてならないんだ、と。