濁らない水 / 背負えない片翼 / 微笑ましい愛欲
数少ない休日の朝は二人だけのブランチをゆっくりと楽しむのがここ数年の習慣。
いつもは朝起きれば、頭が鮮明になるよりも先に軍服に身を包み、リビングへと降りればキラが淹れてくれたコーヒーの匂いで目を覚ます。その一杯を押し込んでから、慌ただしく家を出ることが常だ。だけど朝の挨拶といってきますという家族らしい会話は絶対に抜かさない。誰かに挨拶をすることが照れくさく、けれど馴染んでしまうと何よりも大切な言葉になることを知った。
教えてくれたのは、唯一の家族だ。キラがいなければ、アスランの生活は軍務に塗れていた頃と一寸も変わらない寮生活で、訓練だけをこなす機械的な日々を送っていただろう。
(あいつには、それが分かっていたのか…)
抜けているところがあって、自分がフォローしなければとんでもない事態を引き起こす幼馴染。けれど彼女は本質的なことを見抜くのに長けていて、いつも思わぬところではっとさせられることが多くあった。
戦争が終わってからも、アスランの生活が変わらないだろうことは見通されていたのかもしれない。
彼女が残していった愛は今でもアスランの生きる原動力となって形になっている。
なぜなら毎日が色を変えて過ぎてゆき、日々の成長を見守るのが何よりも楽しみだとそう思えるようになったのだから。
「また、考えごと?」
「あ、あぁ」
沈んだ思考がキーの高い声で引き戻される。
テーブルを挟んだ向こう側に座る息子の膨れた顔に、機嫌を損ねてしまったことを知る。
「どうかしたか?」
「もう、やっぱり聞いてなかった。せっかくの休みで、ゆっくり話せるんだからちゃんと聞いててよ」
最初に聞いてきたのは父さんでしょう、とスコーンに蜂蜜をつけながら、唇を尖らせる。子どもらしい仕草に微笑みを引き出されて、すまないと素直に謝る。簡単な謝罪でも、形に示されたのならば受け入れないなんてことはできない子の優しい性質を知っているから、次の瞬間の表情も分かっている。
ちょっと困ったような、でも許しを象徴する小さな微笑み。
「分かったよ、許してあげる。それでまだ聞く気ある?」
「あぁ、キラが話してくれるなら聞かせてくれ」
学校のことを尋ねたのは、アスランの方からだった。
これは休日の日課であり、普段ゆっくりと聞けない彼の学校で学んでいることや過ごした内容を聞いている。
天気が良くて図書室で寝入ってしまったとか、プログラミング室に籠って気づいたら下校時間になってしまっただとか、本来保護者ならば心配するようなことを話したりもするが、根が真面目だと知っているし、今のカリキュラムがこの子にとって退屈なものが多くあることも知っていた。
学校に行って、集団生活に慣れることも大事な勉強の一つだ。幼少期に戦艦で寝起きをして、自分より一回りも二回りも年の離れた大人と過ごしてきたキラにとって、同世代の子どもたちとのコミュニケーションをはかる場が欠落していた。だからこそ、今ちゃんとコミュニティになるような場所での過ごし方をちゃんと学んでおいてほしいと思うのは親のエゴなのだろうか。
自分の幼少期の狭すぎる交友関係を棚に上げての方針だが、その数少ない友人が自分の人生にとってかけがえのない助けになっているのは事実である。だからこそ、キラにもそういった輪を作ってほしい。
「先週はね、ちゃんと全部の講義に出たよ」
「珍しいな」
「父さんがそんな驚いてどうするの?普通ならそこは喜ぶところでしょ」
不良息子がいい子に更生した、ってスコーンに被りつく様子はぐれた子どもには全く見えない。
すべての講義に出席しないのは、その意味が見出せなかったと知っているから特に口出しをしていないだけだ。カレッジに行かないことには、口うるさく説教してしまうのだが。
「優等生だろ?」
「そうだと思ってたんだけど、冗談?って真面目な顔で言われちゃった」
「友達にか?」
「うん…友達、かな?隣の席の子で、なんかいろいろと世話をやいてくれるんだ」
友達と呼ぶのに少し躊躇ったのは、言い慣れていない言葉だからだろうか。
今まで学校の話をたくさん聞いてきたが、いつも設備や講義内容ぐらいしか話さなくて、誰か他のクラスメイトが出てきたのは初めてだった。
「仲良くなれたか?」
「うん、その子のおかげでね、お昼はクラスメイトの子たちとご飯食べるようになったよ」
あんなにたくさんの人たちと食べたのは、アークエンジェルの食堂以来と真面目な顔で応えるから笑ってしまった。
「何かおかしいこと言った?」
「いや、楽しそうでよかったなと思って」
「楽しそうだった?」
「そうだな、少し戸惑ってる感じだけど嫌じゃないんだろう?」
「うん…嫌じゃないね」
「それが楽しいってことになるんじゃないか」
そうかもしれな、と呟いてスコーンを咀嚼する姿は彼を年相応の子どもに見せていた。