――彼女との思い出を大切にしすぎて
――とても大事で、それでいて当たり前のことを失念していた
泣かないで
――あんたが女だったら良かったのに
――そうしたら、父さんは僕のこと愛してくれた?
そんなやりとりをしたのは、手のかかる弟のように思ってきた少年が身に余る想いを持て余してフレイのところに逃げ込んだときのこと。
驚かなかったと言えば嘘になるし、同い年のわりには頼りないと思っていた少女が実は母親だったと知ったときと同じぐらいには動揺した。
きっと問いかけに答えた声が震えていたことに、聡い少年は気がついていただろう。
――きっと充分すぎるくらいの愛を娘の貴方に与えたでしょうね
――だから…
その先に続くはずだった言葉を紡ぐことなく、少年は再び家に戻っていってしまった。
その横顔があまりにも達観しすぎていて、彼がとんでもない勘違いをして出て行ってしまったことにらしくもなく気がつかなかった。実の父親に対する大きすぎる想いに、その小さくて柔らかすぎる心が焦がされ悲鳴を上げていたことに気づいてやれなかった。
ヒビキが少女だったならば、母親と同様にアメジストの双眸を嵌め込んだ瓜二つの容貌を有していれば、今のヒビキが望んでいる愛情をもらえた、と言いたかったわけではない。
むしろ正反対の言葉が続くはずだった。
フレイが口にした「愛」とは、親として愛情、親愛を注いでくれるという意味であって、ヒビキが望んだ「愛している」ではない。女として生まれた子どもに、恋人の生まれ変わりのような娘に、恋慕を抱く器用な真似などあの男には絶対にできない。歯がゆくなるほど頭の固い彼だからこそ、たとえ母であるキラに重ね想いを抱いたとしても微塵も滲ませなかっただろう。
(その頑固さで恋人と殺し合いにまで発展したんだから、あれはもう筋金入りよ)
しかし、ヒビキは男だ。
中性的な顔立ちをしているからといっても13歳になる子どもを女と見間違えることはしない。抱きしめたら少女とは異なる硬い体の造りに気がつくはずだ。
その上、いくら容貌が似ているといっても造りが人形のようにすべて同じなわけではない。優しげで繊細な印象が強い母親のキラとは異なり、ヒビキは少年らしい溌剌さと早くに片親を失くしてしまったがゆえの聡さを有している。
さらにはヒビキがアスランとキラの血を引いていると明確に証明するものが、双眸を彩る瑞々しい新緑。父親であるアスランから受けついた色彩であることは一目瞭然だろう。
それら全てはキラが持ち得なかったものだ。
そうであるのに、ヒビキがあんなに揺さぶられ焦がれてしまうのは、相手であるアスランにも原因があるに違いない。悲しいことに、ヒビキが求め続ける「愛」は一人だけで生み出せないのだから。
手術室から少し離れた待合室で重たいため息をゆっくりと吐き出す。
「まったく…どうして父親似じゃなかったのかしら」
きっと手術室の前には、赤く点灯したランプを見つめたまま微動だにしない男が立っていることだろう。
それはまるで死に急ぐ恋人に置いていかれ、絶望に臥している男の姿だ。
実の父親への恋慕が彼の心そのものを苦しめるほどに膨らんで苛み続けていたのは、無意識にせよ相手であるアスランもヒビキに惹かれているからに他ならなかった。
幼いながらも悲しみという感情の機微を本質で理解し、彼の癒えない傷を柔らかく包み込む真っ白な波動。今まで愛情を求めるばかりで慈しむということを知らなかった男に愛し方を教えた存在。
少年が男の特別にならないはずがなかった。
恋人のキラとは異なり、それなのにどこかに愛した少女の面影を残す少年に他に大切なものを持っていなかった男が惹かれてしまうのも分からないでもない。
本能的にブレーキがかかって自覚すらしていない「愛情」だったのだろうが、その仕草に表情に声音に秘められたそれをヒビキは敏感に応えてしまっていたのだ。
お互いが無意識に、そして必然であるかのように惹きつけ合う。
「あの馬鹿男。どうしてそうやって厄介な方向にばかり二人で嵌ってしまうのよ」
二人で堕ちていく。加速度が増すことも知らずにどこまでも。
他人のことなどおかまいなしに、世界でたった二人しかいないかのような身勝手さで。
アスランだけではない。ヒビキもフレイの言葉を勘違いしたまま、さらに深みに堕ちていった。そして、その結果が今回の事件だ。
悪態を吐こうと反射的に開いた唇から音が紡がれるよりも先に、はっと声なき驚愕の吐息が漏れた。
そこでようやく気がつく。年齢のわりにはとても大人びているから、ヒビキが子どもであると失念していたフレイにも非があることを。
そして、もう一つ。
キラがフレイの大事な友人である少女の息子であると同時に、鈍感と称し悪態を吐いた男の息子であることを。
「そうだったわ……あんたたち、親子だったのよね」
体の中に同じ血が流れている。
悲しいまでに気質が似ている二人の人間。
方向性なんて見出せるはずもなかった。