――いくな、行くな、逝くな
――幾度も繰り返して祈った
――俺を、置いて…逝くな
泣くことも覚悟の上
「……父さんは、母さんのことだけ考えてればいいんだ」
触れることさえ厭われたことよりも、酷い拒絶の言葉を吐かれるよりも、何よりも胸に引き攣る痛みを与えたもの。
(“キラ”のことだけ…?)
確かにそうだ。自分はいつだって幼馴染であり、初恋の相手であった彼女のことを忘れたことはない。
生涯、忘れえぬかけがえのない人に代わりない。
けれど、けれど、恐る恐る自分に問いかける。
言い訳をするみたいに、何度も同じ場面ばかりを回想する。
キラを抱きしめて、確かな熱の感覚を感じて安心したあの時。
この腕に抱いたつもりでいたのは、誰だったのか、と。
(……どちらのキラを?)
これは気がついていけない事実なのだと、頭の中で警鐘がなり続けている。
気がついてしまったら、きっとこのままではいられないと予感している本能が尻込みしてしまっていた。
気がつかないふりをしていた核心に触れて、それでも気づいてしまうのが恐くて寸前で蓋を閉め奥底へと押し込む。
時間にすれば、ほんの数瞬にしかすぎない。
それでも、泣き笑いを浮かべたキラの残像が消えゆくには十分な時間だった。
「キラ…っ!!!」
目の前で傾いでいく細い体に伸ばした手。
捕まえたと思えたのに、掠りもせずに空を切った感触に全身が冷たくなって。
華奢な肢体が視界から消えたとき、比喩ではなく世界が終わった感覚がした。
規則的に響いていた靴音がぴたりと止んで、目の前に人の気配を感じて酷く重い瞼を持ち上げる。
眠っていたのではなく、意識が眠りよりもずっと奥底にある暗い湖に沈んでいた。
眠れるはずがない。たとえ眠ったとしても、きっと悪夢に魘されて苦しめられるのが目に見えている。
「…フレイさんから聞きました」
返事どころか、顔を上げることさえしない様子でも覚醒していることを正確に把握して声をかけられた。
いつもの歌うような柔らかな声とは間逆の強張った声は、実に彼女らしくない。
プラントと地球をまたいで休む暇がないほど飛び回っているはずの歌姫、ラクスはキラの容態を聞いて言葉の通り飛んできてくれたのだ。
「少しでもいいので、休んでください。そうでないと、誰よりも先にあなたがまいってしまいます」
どんなに労わりと慈しみの溢れた言葉も、昂りすぎて限界を超えた精神には何の癒しにもならなかった。
強く握り締めて重ねた両手をじっと見つめる。
あの時、この手が届いていたのならば、こんなことにはならなかったのにと、過ぎてしまったことを幾度も繰り返して後悔してしまう。
どうしてあの時躊躇してしまったのか、閉じたままの心のうちで必死に考えるけれど、もっともらしい答えなど出てくるはずがない。
例え答えが出たとしても、片目に大怪我を負って窓から落ちたキラの容態が変わるわけでもない。
「アスラン…キラの容態が心配なのは分かります。でも――」
「あの子はまだ、13なんだ」
ナチュラルでは社会的に未成熟とされ、コーディネーターでも漸く成人として認められるぎりぎりの年齢。
「死」という言葉とは裏腹な日の当たる世界に生きている人間の一人なのだ。
死んでいいはずがない。
逝っていいはずがない。
あの子まで、この手に取りこぼしていいはずがない。
体温を有していない皮膚の冷たさを思い出して、冷たい恐怖が体を包み込み、無意識に喉が震えた。
「――逝かせて…たまるかっ…」
吐き出したのは独り言ではなく、きっと心の奥底にある感情さえ吐露した泣き言。
握り締めた両手を額に押しつけ、手術中の赤いランプが消える瞬間を焦がれる。
再びあの子に触れることができる瞬間を切望した。
「もう一度、この手で抱きしめたい…っ」
細く頼りない肩をすっぽりと包んで、もう二度と痛い思いなんてさせないようにずっと腕の中に閉じ込めてしまいたいと、本気で思ってしまう。
「それは、父親としてですか?」
「そう…ですね。抱きしめたいというのは、あの子の父としての言葉です。……でも」
けれど、と心の中で呟く。
それと同じくらいの欲求度で存在するもう1つの想いがあることに気づいてしまった。
それは、合判する気持ち。
「きっと、詰ってしまう」
こんな馬鹿な真似を二度とするな、と。
なぜ自分を置いていくような真似をするんだ、と。
「親が、子どもに吐く言葉じゃないですよね」
肉体的にも精神的にも参っているはずの幼子の前で、身勝手な思いをぶつけてしまうだろう。
「情けない恋人が、呟く弱音ですね」
共に手術中の赤いランプが消えるのを待ち続けている間、彼女がそれ以上何かを言うことはなかった。