――初恋は叶わないというけれど
――こんなのって、ない
泣くことも覚悟の上
明け方近く、びしょぬれのまま家路を辿り玄関の扉を開ける。真っ暗だと予想していた家の中は、リビングに煌々とした明かりが灯っていて家主の所在を告げていた。
素通りして自室にこもるような薄情なことはできずに、ドアノブに手を伸ばすと金属に触れた指先がぶるりと震える。
リビングに一歩足を踏み入れた瞬間に、勢いよくアスランが入り口へと顔を向け目が合う。
深緑に映るのは、色味が異なる新緑。
見開かれた緑の奥底でぞろりと鈍く蠢いた苦悩の感情を見つけてしまう。
(どうして、そんなくるしそうな目をするの?)
答えなど、分かりたくないだけで既に気づいている。
キラがアスランの望む「キラ」ではないからだ。
単純だからこそ、努力や想いだけでは覆せない残酷な事実。
「おかえり」
「…ただいま」
それでも、苦しい顔なんて微塵も見せないで穏やかに笑ってくれる。
柔らかなタオルを頭にかぶせてくれて、キッチンでミルクを温め空色のカップに注いで持ってきてくれる。息子を慈しむ父親であろうとしてくれる。
(どうして…そんなに優しいの)
もっとすきになってしまう。
手渡されたマグカップから伝わるじんわりとした熱が掌から伝わり、寒さで強張っていた体が弛緩していく。緩んだ筋肉がうまくカップを支えきれずに、斜めへと傾いてしまうことにも気がつかずにアスランを見つめていた。
こぽりと、溢れて――。
「おいっ、危ない」
「すき」
こぼれた。
服に染み込んでしまった白い液体を拭い取ろうと、焦がれ続ける存在が近づき、手の届く場所にその人がいる。
無意識に両腕を広げて、目の前にある自分よりも大きな頭を胸へと引き寄せて抱きしめた。
腕の中でびくりと強張る感覚がして、逃げてしまわないようにぎゅっと腕に力を入れた。
「好きなんだ」
言葉にする度に、声に吐息に愛しさが溢れる。感情が現実のものとなり、もっともっとリアルになる。この人が好きなのだ、と怖いくらい実感する。
「………俺もだよ、愛している」
「違うよ」
その好きじゃないと、首を振った。
僕は父さんのことを、母さんが父さんを想っているように好きなんだ、と言葉にして想いを具現化する。
「――っ、…ちがう」
「え?」
「同じなわけがない。あれは俺たちだけの間であった恋だ。誰にも共有することはできない」
自分が入る隙間などないのだと一蹴されてしまう。
でも納得ができなくて、噛み付くように言葉を重ねた。
「でも、好き。好きなんだよ」
「近い未来、きっとお前のことを好きだと言ってくれる人が現れて、お前にも好きな人ができる」
「こんな気持ちになるのは、父さんだけなのに?」
「今だけさ」
「偽物だっていうの?」
イミテーションだと、偽造だと。
自分が今まで押しつぶされそうで、でも捨て切れず抱え込んできたのものが、偽りの想いだと。
誰でもない、アスランがそれを言うのか。
体中の熱が急速に冷めて、伝わらない想いが萎み奥底へと押し込まれていくのを感じた。
同時に腕の力さえ弱まって、アスランが拘束から抜け出す。
凛とした翡翠が怯んだ若草に突き刺さる。
「俺の恋は生涯にただ一つだけだ。あれ以上に人を好きになれることはない」
「…それこそ、わからないじゃない」
「ないよ。俺が命をかけてでも守りたい大切なものは二つしかない。一つはいなくなってしまったキラと、キラお前だよ」
「だったらっ!」
大切なものだというのならば、その片方がもう傍にいないならば、自分を唯一にしてくれてもいいじゃないかと勝手なことを思ってしまう。
「"キラ”のことは愛してるんだ」
――だから好きじゃない。
痛すぎる言葉。
嫌いといわれるよりも性質が悪い。
「お前だってわかっているだろう。俺とお前じゃ無理なんだ。血が繋がっているからとかじゃない。血が繋がっていなくても、俺たちは親子なんだ」
子どもと大人なのだ。
大人はおままごとのような恋はしない。
子どもは情熱的な熱を囁きあうような愛し方はできない。
噛み合わないは二人はどこまでいっても平行線のまま。
親子のまま。
少しずつ息苦しくなって、酸素が少なくなっていくような飼い殺しの状態のまま。
「きっとお前には耐えられない」
「――っ」
悔しかった。
違う、と言い返すことができない自分の情けなさが悔しかった。
思い出すのは、背後から抱きしめられたときのこと。
好奇心に伸ばした指先を火傷して、目に涙を溜め大人に窘められている子どもの気分に吐き気がした。