――誰と、間違えた?
――否……何を、間違えた?


眩暈を起こすような



数年ぶりに抱きしめた華奢な体は、思い描いていたよりもずっと頼りなくてまさか彼女が母親になっていたなんて夢にも思っていなくて、確かに聞こえる呼吸音と肌越しに伝わる心音が、彼女の命が続いていることを教えてくれて、握りつぶしてしまったと思っていた存在が、ただ生きていたことに安堵したことを今でもよく覚えていた。
あいたかった、と呟かれたか細い声を聞いた途端に自分が切望していた唯一のものが、確かに腕の中にいるのだと実感して不覚にも涙が零れそうになり、何度も名前を呼ぶことを請われて、馬鹿の1つ覚えのように彼女が眠りにつくまで幾度となく繰り返した。
大好き、と音に乗せられた吐息さえ今でも鮮やかに思い出すことができる最期に交わした言葉は、アスランにとって最期の言葉になるとは思っていなかったが、彼女自身には何か感じるところがあったのかもしれない。
戦地へと赴く前の会話には不似合いすぎる優しくで穏やかな空気は、確かに二人の想いが通じ合っている何よりもの証であったような気がした。
彼女との思い出は鮮やかさが薄れることは決してなく、けれど時を重ねていくうちにしきりに思い出すこともなくなっていた。
忙しい日々と息子のキラの存在がアスランを彼女のいる過去ではなく、彼女の姿がない未来へと目を向けさせていたのだ。
それなのにおかしいと、寝起きのぼんやりとした頭をおさえて、ゆっくりとベッドから身を起こす。


(最近、よく………“キラ”の気配がする)


それは奇妙な感覚で“思い出す”のではなく、すぐ傍に彼女の笑い声が聞こえたり泣き出しそうな笑顔が見えたりする。
この世界のどこにもいないはずの恋人の色濃い気配。
これは何を意味しているのだろう。

「…とうとう死期が近づいたか?」

自分で自分の思考回路を笑う。
激しい戦禍に身を落としているときも死を強く意識したことなどなく、彼女との死闘のときも命の終わりの予感よりも目の前が真っ赤になるような激情に支配されていた。
死ぬだなんて、戦場でならばいざ知らずこんな平和な世の中で26歳の健康な男が死ぬ確率はどれほどのものなのか。
冗談でもそんなことを考えていると知ったら、息子のキラに怒られてしまうだろう。
それにまだキラの傍から離れるなんて考えられない。
共に生活を始めた頃から充分な時間をとって傍にいることはできなかったが、できることならば一時も目を離さずに片時も傍から離れていたくない。
一日一日の成長ぶりを一瞬も逃さずに眼に焼き付けていたいその子は、アスランにとっての至上の宝。
それなのに、どうして彼女のことを思い出すのだろう。
幼く恋に溺れていたときのように恋焦がれているわけではない、むしろ焦がれているのは彼女と共に付随してくる冷たい死。
アスランにとってはタナトスの象徴であるそれが恍惚とした気配と共に思考を柔らかく包み込む。
生きていることと死んでいることととの境界線が曖昧になって、どちらともつかない自身がふらふらと意識しないまま線を踏み越えそうになっているようで心許ない心境にさせた。

あの子は、どこだろう…。

ベッドから裸足で降りてパジャマのまま、寝室を出る。
完全に覚醒していない夢うつつのまま、無意識に探しものを求めてキッチンへまで足を伸ばす。
得たいのしれない不安と恐怖がない交ぜになったような感覚が足を急かし、欲していた後姿が視界に映った途端、苛んでいた感情が嘘のように胸中で溶けて消える。
触れた柔らかな感触を伝える鳶色の髪、成熟しきっていない細い肩、振り向けば魅力的な色彩を溶かし込んだ瞳がアスランに向かって笑いかけてくれることを予感した。
両腕を伸ばして背後から全身を包み込むように抱きしめる。
肩口に顔を埋めると自分よりも幾分か高い熱が伝わって安堵感がじわりと広がっていく。

「…こんなところにいた」

華奢というよりも、肉つきの薄い骨っぽい肢体の感触をしているのに、今まで触れてきたどの体よりも柔らかいと感じ、ずっとこうやって抱きしめたかったのだと愛しい感触を味わう。
髪から除く柔らかな肌に口付けたい衝動に駆られて、指で絹糸のような髪を優しく掻きわけた。

「――っ」

夢うつつな気分はまだ健在で、むしろ不安も恐怖もなくなった今はさらに居心地の良い感覚へと変化している。
耳元で息を呑む気配がしたけれど、アスランにとってそんなこと込み上げる衝動に比べれば些細なことでかまうことではなかった。
それが、まるで恋人に接するかのような仕草とそれに伴う雰囲気であったことなど知らずに、ただあまりの心地よさに目を閉じたのだった。



欲しいものには、自然と手が伸びてしまう。それが夢ならば尚更のことだろう。



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