――空よりも広くて、海よりも深いそれはどんなものより青い恋だった
――恋でしか、ありえなかった


空の下で何を想う



いつのまにか父は母のことを口にしなくなった。
気がついたときにはそれが当たり前となっていて、もういつかだったかなんて覚えていない。
昔はよく二人で母の話をして、それを共有して親子として過ごせなかった月日を埋めていったはずなのに。
どちらから口にしなかくなったのかと考えると、やはり父のほうだろう。

「父さん」
「ん?」
「また空を見てるの?」

よく飽きないね、なんてわざとらしく呆れたように追い討ちをかければ、父は視線を空へと固定したまま苦笑する気配がする。

「空なんて、いつも同じじゃない」
「そんなことないさ」

(嘘つき)

心の中だけで呟いた言葉は口を閉ざした分、体の中に燻って波紋のように広がっていく。
暇さえあれば上を見上げて空を見ているのが、アスランの休日に行う日課だ。
晴れていれば外出てずっと日の光を浴びているし、雨が降っていれば家の中で窓際に腰掛けて分厚いガラスの先にある鬱々とした空を見ていた。
空を見つめるときのアスランの瞳は酷く遠くて、キラなんかでは到底届かない場所へと直向な視線が繋がっているのではないかとさえ思う。
傍にキラがいてもちっとも気づいてくれなくて、確かにアスランの体がそこにあるのに一人きりで置いていかれたかのような心細さを感じるのだ。

――母さんを探しているくせに、

本人には恐くて絶対に告げることができない言葉が脳裏に浮かぶ。
どれだけ目を凝らしても、ここからでは母の姿は見えない。なぜなら母は10年前に死んでしまったのだ。激しい戦禍に巻き込まれてその命を儚くも落とした。
この世界にいない人を探してもどうしようもないことくらい、父が分かっていないはずがないのに。
それでも理屈をねじ伏せてまで空を見上げてしまうのは、それだけ父にとって母が誰よりも何よりも、そしてキラよりも特別なのだと思っている証拠のようで少しだけ胸が痛んだ。

「同じ時なんて一度もないさ。毎日が色や形が変わる。キラも青が好きだろう?」

その理由をお互い話さないのが暗黙のルール。理由を忘れているはずがない。
母の話をしなくなったアスラン。
けれどそれはアスランが母のことを思い出の一部として想いを薄れさせたというような忘却へと誘ったのではない。より一層想いを深めたからこそ軽々しく口にしなくなっただけのことなのだと、空を見上げる翡翠の瞳を目にするたびに痛感する。
アスランは母のことをこれぽっちも忘れてなどいない。思い出すということもしないほど隙間なく思いを馳せているのだろう、と。
26歳になって社会的にもそれなりの地位を得た父だが、その心には16歳の母が住み続けている。他の女の人が入る隙間など微塵もない。息子であるキラでさえも母と比べたら――と思ってしまうのは、自分の心が卑屈になっている証拠だろうか。
愛情を疑っているわけではない。けれど愛情の違いに時々、酷くもどかしくなる。

「…すきだよ」

こんな複雑な気持ちは母といたときは知らなかった。自分と母とアークエンジェルの人たちと、世界はとても単純で悲しいことがあれば、すぐに楽しいことがあるのだと思っていた。
まさか悲しいと楽しいと並行して抱く瞬間が来るとは夢にも思っていなかった、愚かなくらい幸せだった日々が酷く懐かしい。
青はきっとどんな色よりも綺麗で好きだと思う。しかしそれと同時にどんな色よりも青ほど憎らしい色はないとも思う。吸い込まれそうな宇宙の青が母との離別を思い出させて、涙を喚起させたのは数知れず。その度に大きな掌に頭を撫でられ、温かな胸に頬をおしつけて声が涸れるまで泣いた。



母がこの世を去って10年の月日が経とうと、父は変わらず母に恋をしたまま。
それが喜ばしいと思うのと同じくらい強い気持ちで悲しいと思うのは、どうしてだろうと父の横顔を見つめた。



僕はこの世界の在り方を少しだけ知ったような気がしました。



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