トラベリング / のばら / しめやかな騒音
さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びてドライブをしてから、木陰で一休みをして別荘に備えつけられているキッチンで朝早くからキラと二人で作ったサンドイッチを食べる。
満面の笑みで柔らかなパンをほおばっている姿を見て、改めて普段どこにも連れて行ってやれないからこそ、無理をしてでもたまにはこうやって遠出をするのもいいと思った。じわりと体の奥が幸福感に満たされて温かくなるのを感じながら、じっと丸みの帯びた横顔を見つめる。
しかしその視線を別の意味にとったキラが少しだけ眉根を寄せた心配そうな顔で、こちらを向いた。
「ほんとにだいじょうぶ?」
「なんだ、まだ心配してるのか。休みはちゃんととってきたぞ」
「でも、すごく忙しいときなんでしょう?」
「どうしてそんなことお前が」
キラには極力仕事の話をしない。というよりもアスランが家に帰ってまで仕事を持ち込むような話題を避けているだけなのだが、仮にも軍という機密の塊のような場所の情報が些細なものであれ漏れているのは問題だ。
「ディアッカがこの前遊びに来たときに言ってた」
(あいつ、余計なことを)
恐らく彼にしてみれば積みあがって一向減る様子のない書類の山にストレスを感じて、愚痴にも似た心境で喋っただけだろう。だが、こうやってキラが憂える一つの要因となっているのならば、つい内心で毒づきたくなるのも仕方ないと思ってしまう。
元々、キラは聞き分けが良すぎるくらい手のかからない子どもで我儘らしい我儘を言うことがない。長時間拘束される軍務から帰ってきて子どもの他愛のない、しかし疲れるには変わりないことをして困らせて欲しいとは思わない。
だが、あまりに子どもらしいところを見せてもらえないと、自分が父親として至らないからキラが甘えることができないのではないかと不安になってしまうのだ。
なんといっても自分はまだ19歳。
コーディネーターの成人年齢が13歳といえど、アスランの年齢で同じ年頃の子どもを持っている人間は中々いない。キラが通うようになった幼年学校の同級生達の親は自分よりも一回りも二回りも異なる年代の者ばかり。そう思うと、自分の未熟さが浮き出てくるようで情けなくなってしまう。
「ぼくが海を見たいなんて言ったから…」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。お前が遠慮する理由なんてないだろう」
滅多に口にしたことのないお願いを叶えたいと思ってしまうのは、自然なことだろう。
それでも言い募ると気配を見せる息子の姿に、この遠慮深さは誰に似たのだろうかとふと思い浮かんだ。
(あいつじゃ、ないよな…)
少なくとも息子と同じくらいの年のとき、アスランはやんちゃで甘ったれな幼馴染に振り回されっぱなしだった。我儘を言われなかった日など恐らく一度だってない。
片目の色以外は本人と名乗っても全く遜色のない外見をしているキラだが、やはり違うのだと複雑が感情が胸によぎる。
この子と彼女がいかに似ていようと異なる気質を宿した存在なのだと、わかっているはずだ。
アスランだってそれぞれに抱いている感情は違う。
同じであるはずがない。
今目の前にいる幼子を見るだけで、これ以上ないくらいの幸せを手にしたような気になる。彼が笑えば嬉しくなるし、悲しげに涙を零せば世界が暗転したかのように思う。この子が笑い続けられるならば、どんなことだってできるだなんてそんなことさえ思ってしまう。そんな風に思えるのはキラだけ。
一方、彼女のことを思い出すと今でも封じてしまったはずの恋心がじくじくと疼きだす。それは悲しみなのか憎しみなのか愛しさなのか分からない。全部かもしれないし、そのどれにもあてはまらないもっと果てしない感情なのかもしれない。自分の意志とは関係なしに感情という名のすべてを攫っていってしまうくらいの吸引力が存在していた。綺麗な感情ばかりじゃなくて、憎悪だとか殺意だとかそんな物騒なものさえ向けてしまうのはきっと後にも先にも彼女だけだろう。とても大切な初恋の相手。
「…やっぱり帰ろう」
アスランが言葉を重ねることなく、サンドイッチを持ったまま動きを止めてしまった様子を見て、無理をしていると勘違いしたキラが慌てて広げていたバスケットを片付けようと手を伸ばす。
その小さな掌に自分の無骨な指を重ねて、キラの動きを制した。不思議そうに自分を見上げる藤と翡翠の瞳を見つめて、自然と極上の笑みを浮かべる。
「俺がキラと一緒にいる時間が欲しかったんだ」
「おとうさん…」
「いつも淋しい思いばかりさせて、ごめんな」
「そんなことない。僕、おとうさんと一緒にいられて嬉しいよ。おとうさんと会って一緒に暮らせるようになって、本当に本当に嬉しいんだよ?」
だからそんなこと言ってくれるな、重ねた掌が意志をもってアスランの指を握り締める。必死に訴えてくる幼子の拙く愛しい思いやりに、くすぐったいような泣いてしまいたいような不思議な気持ちが込み上げる。
「ほんとは、おとうさんと二人だけで地球に来れてすごく嬉しい」
「それなら、もっとゆっくりしていこう。明日は何をしたい?」
「海が見たい」
「前も言っていたな」
「うん。海の青色ってすごく綺麗で、宇宙の色と似てるんだよ。でも宇宙よりももっと深くて優しい色をしてる」
宇宙はキラにとって、彼女と過ごした想い出の場所だ。そして青という色は華奢な体を包んでいたパイロットスーツの色を思い出すのだろう。キラは好んで青色を選ぶことをひそかに知っていた。
「明日は海を見に行こう」
その提案を歓迎するかのように、ふわりと優しい風が吹いた。