トラベリング / のばら / しめやかな騒音
――お父さんと一緒なら、どこだっていいよ。
どこに行きたい?と尋ねれば、そう答えられることは今までの経験上分かっている。
さらには軍での仕事は大丈夫なのかと反対に心配されてしまう始末。
なんていい子に育ったのだろうと思うのと同時に、聞き分けが良すぎる姿に普段から我慢ばかりさせていると自分の不甲斐なさを痛感した。
キラと初めて会ってから3年という月日が経とうとするが、短いとは言えないその間我儘らしい我儘を言われたことがない。
それを少し淋しいと思ってしまうのは贅沢なことなのだろうかと思うが、やはり自分が父親として役不足なのではないかと不安となったのは数え切れないほどあった。
休みがとれそうな目処が立ったから、いつもと同じ言葉をかけると、珍しくキラが異なる返答をしてきた。
「ぼく、海が見たいな」
「泳ぎたいのか?」
「ううん、そうじゃなくて地球にある本物の海が見たい」
言葉こそ躊躇いがちだが、大きな瞳は直向に叶えてほしいと痛いくらいに訴えている。
キラらしくない、けれど子どもらしい仕草を微笑ましく感じながら、思わず破顔してしまった。
もちろん、答えは最初から一つしかない。
ノートパソコンといくつかの書類だけを手にして退勤準備を完了する。
デスクの傍らにおいてあるのは数日分の着替えを含めたトラベルセットで、このまま家には帰らずにキラとはエアポートで待ち合わせをしていた。
カリダに用意してもらった旅行セットが入ったリュックを持って、既に待ち合わせ場所に待機しているに違いない。
分かっているから気持ちは流行るばかりだ。
退勤時刻はとうに30分も過ぎている。
退勤しても文句を言われる筋合いはないと、周囲がデスクに齧りついているのにも関わらず颯爽と立ち上がり帰ろうとした。
「待ってくださいっ、アスラン」
「なんだ?」
すると、それをしっかりと認めたニコルから制止の声がかかった。
「いったいこの状況のどこであなたが抜ける余裕があると?」
「ザフトという大きな組織が1人の人間を頼りきりにしているのはどうかと思うな」
「お前はただの兵士じゃないだろう?」
ディアッカまで参戦して、他の人間もアスランが帰ろうとしたことに気がつき始める。
決算の時期と軍主催のセレモニーが重なり、普段から休みなしの軍部が忙しいのはアスランもよくよく分かっている。
けれどこちらとて今回は譲るわけにはいかないのだ。
「だがトップではない」
「なにを屁理屈みたいなこと言ってるんだ、貴様はっ!?」
しまいにはイザークまでもが口を出してきて、軽い頭痛を覚えた。
やりがいのある仕事は嫌いではないが、それが最低限のプライベートにまで支障をきたしてくるのならば話は違ってくる。
アスランの中で優先順位は既にはっきりとしていて、それを覆す気はさらさらない。
「とりあえず、俺は帰るから」
「おいおい待て待てそれを今必死に止めてるんだろう」
「そう言われてもなぁ、早く行かないと…」
「行かないと?」
なんだよと訝しげな表情が、アスランがどんな理由を述べても許さないと物語っている。
ディアッカはアスランたちの部署に所属しているわけでもないのに、ここ数日前から他のところから借り出されていたことを今頃ながらに気がつく。
どうりでいつも以上に恨めしげに早く帰ろうとするアスランに絡んでくるわけだ。
「キラが泣く」
「…いってらっしゃいませ」
たった一言で、ディアッカの目的は玉砕に終わる。
ご丁寧にお辞儀つきだ。
ディアッカがアークエンジェルに捕虜として乗っていたときに、共に過ごしたキラのことを可愛がっていることを知っているから、キラが絡むと無条件で口を紡いでしまうのだ。
「ディアッカ貴様、この腰抜けめ」
「だってキラの名前出されたら、どうしようもないじゃん。それだったらお前はあのキラを泣かせてまで、こいつに仕事させられるのか?」
「…………」
「だろ?」
イザークもAAにいた頃こそ知らないものの、アスランがキラを引き取ってから何度か会ったことがある。
そこでキラは気難しくて子どもが苦手な彼を笑顔一つで落としてしまったのだから、たいしたものだ。
ストライクのパイロットの子どもだということを知った後も、微塵も態度を変えなかったのはイザークが我慢強かっただけでなく、相手がキラであったからだろうと思っている。
「アスラン、貴様、明日、明日こそ覚えておけよ。死ぬほど働かせてやる」
「残念だが今日から五日間有給だ」
「なあああにっ!?このクソ忙しい決算の時期に五日の有給だと!」
「いいだろう。あとの有給はいつも返上して働いているんだ」
怒り狂うイザークを尻目に言い終わるか否かで、アスランは扉を明けて颯爽と軍を出ていった。
向かうは大切な子どもの元へ。