「しあわせですか」 / 囁く / 指先から
夜勤や休日出勤がさして珍しくない職業についてしまったがために、休日と保障される日は年に数える程度。
仕事は大変だがやりがいもあって嫌いではない。
戦時をこの身で体験したからこそ、大切な人たちを守ることができる位置に立っているのだと思うだけで忙殺される日々でも充分に報われたと思える。
それでも不満があるとすればただ一点に絞られるだろうと小さく溜め息をついて、支給された軍服をハンガーにかけてロッカーにしまった。
腕時計の文字盤を見れば約束の時間が迫っていることを知らせていて、足早に更衣室を後にする。
向かうは三日ぶりに会う大切な子のもと。
「あら、アスラン君、お疲れ様。軍から直接来たの?」
「夜分遅くにすみません。ご迷惑かと思ったんですが…」
呼び鈴を押し、ほどなくして扉が開かれて部屋の明かりが漏れる。
そこから顔を出した相手を認めて、軽く会釈をした。
柔和な笑顔はいつ見ても変わらない穏やかさと優しさが滲んでいて、アスランはこの女性ほど「母親」という言葉を体現する人はいないだろうと思っている。
「そんなことないわよ。それにあの子もアスラン君が迎えにくるって教えたら、起きて待ってるってきかなてく、むしろちょうどよかったわ」
「まだ起きてるんですか?」
既に時間は深夜と呼ぶに相応しく、外も夜の帳が降りて静けさをその宵闇に溶かし込ませている。
子どもが起きているのに相応しいとは言い難い時間だ。
スリッパを出してもらい玄関と部屋を繋げる廊下を音を立てないよう、心持ちゆっくりと歩く。
ふふ、と思い出し笑いに口元を緩ませてカリダは首を振った。
「ずっと粘ってたんだだけどね、ついさっき寝ちゃったわ」
「そうですか」
「アスラン君に会えること、すごく楽しみにしていたのよ」
「カリダさん達にはいつもお世話になって、本当に感謝しています」
「あら、当然じゃない。だってあの子は私たちの子どもでもあるもの」
それに昔に戻ったみたいでとても懐かしいねと、細められた瞳には悲しみの色がうっすらと滲む。
その寂寥感が空気感染したみたいに脳裏に彼女が思い浮かんで、胸の奥が引き絞られる痛みを覚えた。
しかし痛みをやり過ごし、せりあがってくる何かに知らないふりをする。
気がついても仕方がないことと知っているからだ。
「今日はもう遅いし、止まっていったら?」
「いいえ、家にかえって片付けておきたい仕事があるので」
「そうなの仕方ないわね…」
扉を開ければ、ソファーで寝入ってしまっている小さな子どもの姿が視界に映る。
近づいて、半分はブランケットに埋まってしまっている安らかな寝顔。
先ほどの物寂しい感情が綺麗に消えて、じわりと温かな感情が胸を満たすのが分かった。
なんて現金な反応だろうと自身の安直な心に苦笑して、相手を起こさないようにそっとその小さな体を持ち上げた。
幼い子どもだからなのか、寝ているからなのか、アスランよりもずっと体温の高い熱が服越しからも伝わってくる。
起こさないようにと気遣っていたが、やはり殺しきれなかった振動に覚醒を促されたのか、閉じた瞼がふるりと震えた。
「お、とう…さん?」
「起こしたか?寝てていいぞ」
「う、うん。だいじょうぶ。おかえりなさい」
「あぁ、ただいま。いい子にしてたか?」
「うん、お父さんはお仕事ちゃんとしてきた?」
眠い目を擦り大きな瞳がじっとアスランを見つめ、ふわりと心底嬉しそうに笑う。
「あぁ、お前に会えるように昨日まで頑張ってきたよ、キラ」
そしてアスランは幼子に向かって、舌に馴染んだ特別な名前を紡いだ。